ぶら~りネット探訪

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『LIFE 井上陽水 40年を語る 第一夜』を見た

NHK教育で放送された『LIFE 井上陽水 40年を語る 第一夜』を見ました。陽水は今年還暦とデビュー40年ということで作られた番組だそうです。

基本的に陽水の生い立ちから現在まで道のりを陽水自身へのインタビュー、関係者のインタビュー、当時の映像や音源などを交えて振り返るという構成の番組のようです。

第一夜は「石炭 ビートルズ 氷の世界」をキーワードに生い立ちから『氷の世界』の大ヒットまでを振り返る内容でした。ナレーションはなぜか宮沢りえでした。

同郷のジャズピアニストの山下洋輔と『少年時代』を歌っていたりしました。山下洋輔が普通にピアノを弾いているのを私は初めて見ました。山下洋輔のやっているのはフリージャズで、昔タモリがケツでピアノを弾く男と紹介していたことがあります。

1969年に陽水はアンドレ・カンドレと言う芸名でデビューしています。当時の雑誌の記事やライブの写真は衝撃的でした。髪型やサングラスなどは外見が、その後と全く違っていました。「ポップス界の怪男児登場」みたいなキャッチコピーが笑えました。亡くなった三浦和良元社長がちょっと髪を伸ばしたというような雰囲気でした。

アンドレ・カンドレ時代は鳴かず飛ばずで、ホリプロの社員に「アンドレ君、君は整理されるかもしれないよ」と言われていたり、キャバレーみたいな所で歌うこともあったりしたそうです。どうでもいいですが「アンドレ君」と言う呼び方がいいですね。昔、ビートたけしがフライデーを襲撃したときに、当時、官房長官だった後藤田正晴ビートたけしを「ビートくん」と呼んだのを思い出します。

1972年に芸名を井上陽水に改め、再デビューします。プロデュサーに多賀英典を迎えたことが大きな転機になったようです。多賀英典はインタビューで登場していました。この人は伝説のプロデュサーだそうで、キティグループの創業者の1人だそうです。

陽水自身は『帰れない二人』(清志郎との共作)をシングルのA面にしたかったらしいのですが、多賀英典は『心もよう』をA面でリリースする決定を下したそうです。多賀英典は『心もよう』の歌詞に何度もダメ出しをし、陽水に何度も書き直しをさせたそうです。

当時の時代背景などを考えると(1973年)確かに『心もよう』の方が『帰れない二人』よりも歌謡曲的で分かり易くシングル向きに感じます。でも私は『帰れない二人』の方がすきです。

『氷の世界』についても多賀英典は訳が分からないと歌詞の書き直しを命じたそうですが陽水は書き直しには応じなかったと語っています。

インタビューに答える陽水は相変らず飄々として掴みどころがなくいい感じでした。話の途中にちょっとだけ炭坑節やプラターズの『Only You』歌ったりするところもとても素敵でした。欲を言うと当時、アレンジャーとして関わっていた星勝のインタビューも聞いてみたかったですね。