ぶら~りネット探訪

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『リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング』を見た

リサ・コルテス監督のドキュメンタリー映画『リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング』を見ました。

 

ジェームス・ブラウンエルヴィス・プレスリーの伝記映画で駆け出しのJBやエルヴィスにヒントというかアドバイスを与える役でリトル・リチャードは登場していました。また『映像の世紀 バタフライエフェクト』のビートルズの回では素人時代のポール・マッカトニーが『のっぽのサリー』を歌うシーンがあったりして少し気になる人物でしたが、積極的に過去の音源を聞くことはありませんでした。YouTube近田春夫がこの映画を取り上げていたので見てみることにしました。この映画を見るまでは『のっぽのサリー』しかリトル・リチャードの曲は知りませんでした。

 

映画はリトル・リチャードの誕生から死まで時系列に本人のインタビュー、関係者の証言、評論家、影響を受けたミュージシャンのインタビューと過去の映像を交えて描いていました。

 

ロックンロールの設計者として語られることが多いリトル・リチャードですが、そのスタイルはリトル・リチャードが0から全て作ったものではなく、元ネタというか憧れの存在みたいなものがあり、それを模倣したりしているうちにロックンロールが作り出せれ、それがまた下の世代に受け継がれていったのが面白かったです。

 

リトル・リチャードが影響を受けたミュージシャンでシスター・ロゼッタ・サープという人が紹介されていてギブソンのSGを弾きながら歌っていました。シスター・ロゼッタ・サープはロックンロールの母とも呼ばれている人だそうです。女性でSGを弾いているのはベッド・インの中尊寺まいくらいしか思い浮かびません。シスター・ロゼッタ・サープで画像検索したらダブルネックのSGみたいなギターを抱えたエルヴィス・プレスリーの画像を見つけました。

 

70年代のリトル・リチャードの髪型、ステージ衣装、ステージ・アクションがパープル・レイン前後のプリンスのお手本だったことが分かりました。公式サイトで岡村靖幸もこのことについてコメントしていたのもナイスでした。

 

デヴィド・ボウイにも影響を与えていたのは意外に感じましたが、リトル・リチャードが同性愛者であることを公表していたことメイクしていたことを考えると納得です。グラム・ロックを既に先取りしていたわけですから。ボウイのインタビューはなく『レッツ・ダンス』をプロデュースしたナイル・ロジャースのインタビューがありました。

 

キャリアの全盛期にスプートニクを見て神秘体験だと思って大学で神学を学んで牧師になってしまったエピソードはボクシングのジョージ・フォアマンを思い出しましが、リトル・リチャードがロックンロールをやめて牧師になろうとしたのは1957年でこれもジョージ・フォアマンよりも早かったわけです。

 

メイクしたリトル・リチャードの顔がジョーカー、クラウン(道化師)のように私は見えました。テレビ番組に出演した映像がいくつかあり、インタビュアーを煙に巻いたり、突拍子もないことを突然いいだすところもジョーカーという感じでした。賞とは無縁だったリトル・リチャードがグラミー賞の受賞式のプレゼンターとして登場して「受賞者は自分」というジョークが完全に滑ってしまっていたのが悲しいのですが、後にアメリカン・ミュージック・アワードで功労賞を受賞し、スピーチで涙するシーンと対になっていて痺れました。

 

この機会にリトル・リチャードのCDを聞いてみたら『Keep a Knockin'』のイントロのドラムがレッド・ツェッペリンの『Rock and Roll』の元ネタだったことに今更ながら気がつきました。