ジョン・ブリューワー監督によるミック・ロンソンのドキュメンタリー映画『ビサイド・ボウイ ミック・ロンソンの軌跡』を立川シネマシティで見ました。この映画は2019年の3月に日本でも公開されていましたが、見逃していたので、今回初めて見ることができました。
この映画はグラム・ロック時代のデヴィッド・ボウイを支えたミック・ロンソンについて当時の関係者やミック・ロンソン自身のインタビューを中心に構成されたドキュメンタリー映画です。ミック・ロンソンは1996年に46歳で亡くなっています。
『ビサイド・ボウイ』というタイトルなのでボウイとのエピソードがほとんどとなっています。ボウイのことは多少知っていましたが、ミック・ロンソンのことはほとんど知らなかったので楽しめました。当時のライブの映像や音源は既存のものがほとんどで、この点は新鮮味に欠けました。
ルー・リードの『トランスフォーマー』はボウイとミック・ロンソンの2人のプロデュースとなっていますが、ミック・ロンソンの貢献度の方が高かったそうです。ミック・ロンソンの訛りが酷くてルー・リードはミック・ロンソンが何を話しているのか最初は分からなかったという話は笑えました。
ジギー・スターダストのアメリカのツアーは最初の頃は不入りで客が200~300人のときもあったそうです。それでもイギリスの新聞はアメリカで大成功と書き立ててくれて助かったという証言がありました。YMOや宇多田ヒカルのビジネスモデルの元祖はボウイだったみたいです。
ボウイのバックバンドであるザ・スパイダーズ・フロム・マーズは誰がどれだけギャラを貰っているかの問題で空中分解。そしてボウイの気まぐれというかエゴ。ミック・ロンソンは1973年の『ピンナップス』の録音に参加したあとボウイと別れます。次にボウイとミック・ロンソンが共演するのは1992年のフレディ・マーキュリー追悼コンサートでした。
ボウイと袂を分かった後のミック・ロンソンはソロ活動を始めますが、パッとせず、モット・ザ・フープルに加入したり、イアン・ハンターと組んだり、ボブ・ディランのローリング・サンダー・レヴューにも参加しています。ミック・ロンソンはディランのことは好きではなかったそうです。
ミック・ロンソンの奥さんによるとミック・ロンソンは金に執着するタイプの人ではなく音楽を演っていられれば満足といったタイプの人だったみたいです。ミック・ロンソンのソロ時代の音声や映像が少なかったのが残念でした。
1991年に肝臓がんに罹ってからもモリッシーの『ユア・アーセナル』をプロデュース、1992年にはフレディ・マーキュリー追悼コンサートでボウイと再会、『ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ』にも参加しています。ミック・ロンソンはモリッシーからプロデュースの依頼が来るまでモリッシーの存在を知らなかったそうです。
ミック・ロンソンがモリッシーのプロデュースをしていたことはこの映画を見るまで知りませんでした。ボウイとミック・ロンソン、モリッシーとジョニー・マーの関係は似ているような、似ていないような。モリッシーとジョニー・マーももう一度、共演してもらいたものです。
フレディ・マーキュリー追悼コンサートの『すべての若き野郎ども』はいいのですが、『ヒーローズ』を演奏するミック・ロンソンの姿が切なく見えました。スタジオ盤の『ヒーローズ』のギターを弾いていたのはロバート・フリップでした。
ボウイのレコーディングやライブに参加したギタリストはミック・ロンソンやロバート・フリップ以外にもエイドリアン・ブリュー、スティーヴィー・レイ・ヴォーンなどがいます。『レッツ・ダンス』ではナイル・ロジャースも弾いていますね。
もう1つ非常に印象に残ったのはボウイの奥さんだったアンジーの現在のキャラが強烈だったことです。魔女ですね、あれは。