ぶら~りネット探訪

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盛岡城に行ってみた

8月に盛岡競馬場に行った時に少しだけ城好きな人である私は盛岡城も訪ねてみした。 中学の国語の授業で石川啄木の「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」という短歌を習った記憶があります。この短歌の「不来方のお城」というのが盛岡城のことだそうです。授業を抜け出し盛岡城跡で過ごしていた少年時代を回想した短歌だそうです。なんとなくRCサクセションの『トランジスタラジオ』に通じるものがあるような気がます。 盛岡城盛岡駅から盛岡都心循環バス「でんでんむし」の左回りに乗って約10分「盛岡城跡公園」の所にありました。「でんでんむし」には車内に液晶テレビが設置してあるバスがありました。「でんでんむし」の運賃は100円で、フリーパスを買うと300円で1日乗り放題になります。 盛岡城跡は市街地にあります。門や建物はありませんが石垣が印象的な城でした。石川啄木の歌碑、宮沢賢治の石碑がありました。こぢんまりとした感じですが緑も多くいい雰囲気の城跡公園でした。広場にある大きな柳の木も印象的でした。 特に興味深かったのは本丸跡にある南部利祥 銅像台座でした。銅像はなく台座しかありません。南部家第42代当主の南部利祥は日露戦争に従軍。1905年の井口嶺攻略戦で皇族軍人竹田宮恒久王の盾となって戦死したと伝えられています。銅像は功五級金鵄勲章が下賜されたことを顕彰し南部利祥の霊を慰めるために作られたもので、東条英機が建設委員長、原敬が建設委員になって作られたものだそうです。 現在、銅像本体がないのは第2次世界大戦中の1944年に軍需資材として供出されたからです。供出については献納と案内の看板に書かれていました。戦死した人の銅像が軍需資材として再び戦争に使われたという話に凄い衝撃を受けました。究極のリサイクルなのか?七生報国を体現したエピソードなのか?銅像の建設委員長が東条英機というも凄い話です。東条英機自身はこの話は知っていたのでしょうか? 公園の中にはもりおか歴史文化館がありました。しかし、私が訪れたときは残念ながら休館日でした。 岩手競馬のダービーにあたるレースは「不来方賞」です。岩手競馬に所属したままJRAフェブラリーステークスを優勝したメイセイオペラ不来方賞を勝っています。 岩手競馬マイルチャンピオンシップ南部杯の表彰式には毎年南部家当主が出席し、南部杯を授与しているそうです。2011年東日本大震災の時は復興支援で南部杯東京競馬場で行われました。このときの表彰式に南部家の方が出席していたのを記憶しています。 南部という苗字はフリーアナウンサーで『荻上チキ・Session-22』に出演している南部広美が浮かびます。南部広美は岩手県花巻市出身です。
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