ぶら~りネット探訪

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鈴木邦男の『右翼は言論の敵か』を読んだ

『右翼は言論の敵か』、なかなか刺激的なタイトルの本です。終わってしまったTBSラジオ『アクセス』で藤井誠二が紹介していたのがきっかけで読んでみました。 右翼とテロと言論のテーマよりも、戦前からの右翼の歴史をまとめた本と言った方がいいような感じがしました。赤尾敏、山口ニ矢、三島由紀夫児玉誉士夫野村秋介など話を通じて日本の右翼の歴史とテロ、そして言論について、分り易く非常にコンパクトにまとまっている本だと思います。 赤尾敏については『愛国と米国』でも鈴木邦男は書いていますが、この本ではさらに深く掘り下げられています。街宣車を使った街頭演説を始めたのは赤尾敏が最初だとか、選挙に毎回出ていたのは選挙期間中は立候補者でないと街頭演説ができないため立候補したといったトリビアな話題も書かれています。 戦後の右翼を再編した児玉誉士夫についてはそれほど細かくは書かれていません。それよりも、児玉誉士夫周辺の白井為雄や中村武彦といった人たちとの交流について細かく書かれていて、鈴木邦男が今なぜテロを否定し、既存の右翼のイメージには当てはまらないような姿勢になったかが、少し分かるような感じがしました。児玉誉士夫については複雑な思いがあるようで、また別の機会に詳しく掘り下げたいと書かれています。 最終では野村秋介について語っています。野村秋介は『朝まで生テレビ』にもよく出ていました。普通の右翼のイメージとはちょっと違ったイメージの人でした。テロのことを「肉体言語」と言っていたのが強く印象に残っています。言葉を大事にする人で、右翼でも左翼でもありがちなスローガン(「○○来日、絶対防止!」や「○○絶対死守!」)を嫌っていたそうだ。野村秋介はテロを肯定し、自身も「河野一郎邸焼き討ち事件」や「経団連襲撃事件」を起こしていますが、人を傷つけたことはありません。「河野一郎邸焼き討ち事件」では逃げ遅れそうになった家政婦をおぶって助けたという話を聞いたことがあります。 「肉体言語」という言葉は「肉体関係」みたいで、ちょっとエロチックな感じがします。余談ですが元衆議院議員で自殺した新井将敬は『エロティックな政治』という本を書いています。 三島由紀夫楯の会をはじめとする右翼的な活動は一般的にも,右翼からも冷ややかな目で見られていたそうです。楯の会のような制服を着た男が「立て、立て、立て、タテの会。装着感などさらになし」と言うコンドームのCMが当時あったと書かれています。右翼はさらに「立て、立て、立て、盾の会。使命感などさらになし」とからかっていたそうだ。本当にこんなCMがあったのでしょうか?面白いと思いますが、今の日本ではこういった広告はほぼ不可能でしょう。手塚治虫の『やけっぱちのマリア』に出てくる不良グループの名前が「タテヨコの会」だったことも考えると、楯の会というのはやはり「小説家のお遊び」という見方をされていというのは納得できます。 右翼運動と金と暴力については客観的な視点からかなり詳細に書かれています。企業への恐喝で活動資金を得ていいても、「お国のため右翼活動の資金を得るための経済活動なので何も恥じることはない」という右翼の独特の論理があるそうだ。鈴木邦男自身はこういった考え方に疑問を持っていてそういった資金集めは行っていないそうです。 あとがきには自殺してしまった作家で一水会でも活動していた見沢知廉についても書かれています。鈴木邦男には見沢知廉についてももう少し語って欲しいと思います。 右翼は言論の敵か (ちくま新書)
右翼は言論の敵か (ちくま新書)