ぶら~りネット探訪

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『談志 最後の落語論』を読んだ

健康状態が優れず、去年の後半から休養していた立川談志が4月13日に高座に復帰したようですね。記者会見の様子を見ると喉の状態は良くないように見えました。引退を匂わすような発言もあり、全体的に痛々しい会見ものに見えました。 去年、先代の圓楽さんが亡くなったときの談志のコメントが普通だったのが心配でした。 全くジャンルは違いますが、セックス・ピストルズのマネージャーだったマルコム・マクラーレンが亡くなったときに出たジョン・ライドンのコメントも今までの毒舌からは想像できないような普通もので、談志の圓楽さんに対するコメントと似たようなものを感じました。 そんな談志の去年の11月に出版された『談志 最後の落語論』を読んでみました。談志の本は以前にも何冊か読んだことがあります。この本の基本的なところは『立川談志遺言大全集』に書いてあることとかなり重複しています。 お馴染みと言ってもいい「落語は人間の業の肯定」という話やイリュージョン、落語に登場にする”堪らない”フレーズにつていの話が繰り返されています。 でも、私は「落語は人間の業の肯定」の意味がこの本ではっきりと分かりました。別の言い方で「落語とは、非常識の肯定である」と書かれていて、この説明で納得できました。非常識、ナンセンスを追求した落語が滑稽噺、一方世の中の常識に沿った落語(親孝行や夫婦や親子の絆などを説いたもの)が人情噺という説明が非常識に解り易い。 中盤の細かい芸談については正直、あまりよく分かりませんでした。柳家三語楼、その弟子の金語楼、権太楼、志ん生の話やイリュージョン落語については『遺言大全集』にも出てきていましたが、どうもよく理解できません。志ん生のCDは聞きます、けっこう好きです。「ヘビから血が出て、へーびーちーでー(ABCD)」志ん生のフレーズが私は好きですな。 三遊亭円朝よりも三語楼や権太楼の方が上なのではないかと語っています。ストーリー性のある人情噺よりもナンセンスなフレーズやイリュージョンで構成される滑稽噺な方が上ということなのでしょうか。円朝の人情噺を(『芝浜』、『文七元結』、『四谷怪談』)を「韓流ドラ」(韓流ドラマ)みたいなもので、観客は女子どもだったのではないか言っているところ面白いですね。 最後の方は談志らしくないは弱気な言葉なども出てきて、ちょっと寂しい感じもします。落語の中の江戸の"匂い"、"粋"といったもののニュアンスやシチュエーションなどはやはり現代には伝わらなくなっていくのではないかと語っています。そして落語は"ナンダカワカラナイことをいう面白い人"という残り方しか出来ないのではないかと言うのは悲しいけど鋭い指摘だと思います。 談志 最後の落語論
談志 最後の落語論