亡くなった、加藤和彦さんの最初の奥さんだった福井ミカの自伝みたいな本です。音楽評論家の中村俊夫という人との共著となっています。1988年の出版された本です。翌年の1989年にミカバンドは桐島かれんをボーカルに迎えて再結成しています。
1988年当時、私はミカバンドの存在は知っていましたが、こんな本が出ている事は知りませんでした。この本は図書館で借りて読みました。表紙の福井ミカの写真はなんだか野沢直子に似ています。
誕生から加藤和彦さんとの出会いそして結婚。ミカバンドでの成功、クリス・トーマスとの出会い、加藤和彦さんとの離婚。クリス・トーマスとのイギリスでの生活とそして別れ。料理人としての修業までが語られています。
アマチュア時代の加藤和彦さんにギターを習いに行ったのがきっかけで、加藤さんとは親しくなったそうです。結局福井ミカはギターを弾くことはできず、福井ミカと友人のトンコが歌を歌ってバックのギターは加藤さんが弾いて何度かライブを行っていたようです。
ミカバンドはジョークのつもりで始めたそうです。矢沢永吉のキャロルと一緒に地方を回っていたそうで、初めにはキャロルが前座だったのがいつの間にかミカバンドが前座になっていたそうです。当時は地方の興行師はヤクザが多く、ヤクザの前で余興をやらされたり、接待で一気飲みを強要された話が笑えます。
地方のライブで高橋幸宏が急性胃炎でドラムを叩くことができずベースの小原礼がドラムを叩き、マネージャーがベースを弾いて急場をしのいだ話や高中正義が朝寝坊して北海道のライブに間に合わなかった話も出鱈目でいいですね。
加藤和彦さんとの離婚後、福井ミカはロンドンでプロデューサーのクリス・トーマスと生活しています。クリス・トーマスとは籍は入れていなかったそうです。クリス・トーマスが当時、ポール・マッカートニーやエルトン・ジョン一緒に仕事をしていて、彼等のセレブな生活が語られています。
当時、ポール・マッカートニーは版権ビジネスに非常に力を入れていて、バディー・ホリーの著作権やミュージカル『グリース』などを買い漁っていたそうです。ポール・マッカートニーがマイケル・ジャクソンさんと『セイ・セイ・セイ』を録音しているときのエピソードで、エルトン・ジョンもそこにいて、ミカに「彼(マイケル・ジャクソンさん)がおネエだとは知らなかった」と言ったことがさらりと書かれています。
ロンドンの生活で私が一番知りたかったのはクリス・トーマスがセックス・ピストルズのプロデュースしたときの話です。もちろん、この話題についても語られていますが、2ページほど切り取られていました。切り取られていたのは肝心のクリス・トーマスがセックス・ピストルズをプロデュースする経緯が語られていると思われる部分でした。『勝手にしゃがれ』のレコーディング中にジョニー・ロットンやクリス・トーマス、レコーディング・エンジニアがイギリスの右翼「ナショナル・フロント」に襲撃されたときに福井ミカも現場にいて、当時の状況が生々しく語られています。
クリス・トーマスはアッパーミドルクラスの出身でセックス・ピストルズのプロデュースをしたせいで親戚から非難されたこともあったそうです。
福井ミカはピストルズを退屈で保守的で、ある種ものすごく退廃した中からでた風俗、風俗営業と言っています。それに比べるとアメリカや日本のパンクはファッションと言っています。私はピストルズもマネージャーであるマルコム・マクラーレンによって仕掛けられたファッションであったことも否定できないと思います。ある意味でパンクやロックにはプロレス的なモノを感じます。
この本が出版されたのは1988年なのですが、福井ミカの当時のイギリスの音楽シーンに関する認識が非常に古いというか、現場感覚が非常に希薄に感じます。パブから新しい音楽が生まれると語っていますが、ここで紹介されているバンドは「ストラタ・クルーザーズ」は全く聞いたことがありません。
パンク/ニューウェーブの後なのにピンク・フロイドをロックのビジネスの例として語っているのがとても不思議でした。(確かにこの時期にロジャー・ウォータズ抜きで再結成したピンク・フロイドはかなり売れました、しかし再結成については触れていません)当時、イギリスで人気のあったザ・スミスやニューオーダーについては全く言及されていません。ポール・マッカートニーやピート・タウゼント、ジョージ・マーティンがどうのという話ばかりです。新しめのミュージシャンとして出てくるのがボーイ・ジョージというのが切ないというか悲しい。