ぶら~りネット探訪

音楽、競馬、映画などについて非常にテキトーにダラダラと綴っていくブログでございますですよ。

立川志らくの『雨ン中の、らくだ』を読んだ

この本は2004年の『らくご小僧』の続編にあたる本になります。『らくご小僧』は立川志らくの子供時代から落語家を志すまでの話。『雨ン中の、らくだ』は立川談志に入門してから、現在に至るまで話になっています。 去年出版された、兄弟子である立川談春『赤めだか』と重なる部分が結構あるので、この2冊を読むと2人の修行時代、そして師匠である立川談志という人間が立体的に見えてきます。 各章のタイトルは落語の演目になっています。このスタイルは前作の『らくご小僧』を踏襲しています。この演目は師匠、談志が得意な演目で志らくのエピソードと各演目の解説と解釈で各章は〆られています。 談志は人間修業のために前座の弟子たちを築地に行けという命令し、談春は築地の焼売屋で働くことになります。最初のうち、志らくは築地行きを免れていたのですが、失敗をして談志に築地行きを命じられます。しかし、志らく築地行きを頑なに拒否し、談志も仕方なくそれを認めることになります。談志が折れてしまったというのが凄い話出です。 志らく日大芸術学部落研の出身ということから、同じ日大芸術学部落研OBの放送作家高田文夫を通して談志に入門しています。高田文夫立川流(Bコース)では立川藤志郎で真打になっています。またビートたけしのブレーンでも有名です。1987年、ビートたけしは「フライデー襲撃事件」を起こし、しばらくテレビ、ラジオの出演を自粛することになります。このとき志らくは「オールナイトニッポン」のパーソナリティの公開オーディションに出演したとこの本には書かれています。私は当時、ラジオを聞いていたはずなのですが、志らくが出演した記憶はありません。 立川ボーイズとして談春朝寝坊のらくとで深夜番組の『ヨタロー』(『イカ天』の後の時間帯の番組)に出ていたのはなんとなく知っていましたが、アイドル的な人気があったのは知りませんでした。朝寝坊のらくのその後はちょっと悲しいものがありました。 真打になった後、志らくは映画を撮ることになりますが、これが大失敗だったそうです。私は志らくの映画は見たことがありませんが、談志や兄弟子だった快楽亭ブラック志らくの映画を酷評していたのを聞いたり、読んだりしたことがあります。 この本では談志の師弟の定義「価値観の共有ができるか否か」という点に志らくは強く拘っています。談志の独特の落語に対する姿勢はもちろん、談志の好きな映画、談志の好きな懐メロも志らくは共有できているそうです。一方、兄弟弟子である志の輔談春は談志と共有できていない部分もあるそうです。志らくは自分こそが談志の正当な後継者であると言いたげですね。 談志は爆笑問題太田光を評価していて、洒落で太田光を「ヨソで作った子」と言ったり、遺言大全集の付録のCDなどで後継者は爆笑問題と言ったりしいた記憶があります。 雨ン中の、らくだ
雨ン中の、らくだ