ぶら~りネット探訪

音楽、競馬、映画などについて非常にテキトーにダラダラと綴っていくブログでございますですよ。

村上春樹の「意味がなければスイングはない」を読んだ

ノーベル文学賞候補、村上春樹の「意味がなければスイングはない」を読んでみました。ウィキペディアで「スガシカオ」の記事を読んでいたら、この本でスガシカオのことを取り上げていることを知って読んでみました。 私が村上春樹の本を読むのは非常にひさしぶりで初期の三部作と「ノルウェイの森」以来のような気がします。この本は音楽に関してのエッセイみたいなもので、クラッシック、ジャズ、ロックととりあえず主要な音楽のジャンルはカバーされています。ロック関係でスガシカオブライアン・ウィルソンブルース・スプリングスティーン取り上げられてます。私は最初に目次を見たときこの3人の章を読み終わったら、あとはクラッシックとジャズなので途中で読むのをやめてしまうのではないかと思いましたが、私の全く知らないジャズやクラッシックの人の話もなかなか面白く読むことができました。 ゼルキンルービンシュタインという二人のクラッシックのピアニストの話は似たような境遇に生まれた二人が全く対象的なピアニストになっていく過程が大河ドラマのダイジエストのように語られていて非常に面白く感じました。スタン・ゲッツの物語も映画を見ているように映像が頭に浮かぶような物語になっていて面白く読めました。私は「ゲッツ/ジルベルト」は聞いたことがあるのですがスタン・ゲッツのサックスにはほとんど注目していませんでした。 スガシカのところで村上春樹は日本のポップス、ロックのほとんどは「リズム歌謡」で、歌には必ずコブシがあるけどスガシカの歌にはそういったものが感じられないと書いていました。村上春樹美空ひばりがスタンダード・ジャズを歌ったものを美空ひばりの名前を伏せて聞かされたときにもコブシがどうにも耳についたということも興味深く感じました。「リズム歌謡」と言うのは「ロック分母/分子論」という言い方で古くから言われていたことで、分母をリズム、分子をメロディーと考えるとフレンチポップは分母のリズムはポップスの世界共通のものでも分子のメロディーを分母のリズムを切り離すとシャンソンになり、日本のポップス、ロックを分母から切り離すと演歌になるという話だった気がします。村上春樹スガシカオの歌詞も褒めていて何曲か歌詞の引用が出てきます。最後には「ぬれた靴」が引用されていますが、私はこの中の「うすぐらい中華屋」という部分が好きですね。 村上春樹ブルース・スプリングスティーンと結びつきにくいのですが、この本ではとりあげられています。ブルース・スプリングスティーンについては「ハングリー・ハート」(佐野元春の「サムディ」の元ネタ)の歌詞から始まるのですが、この歌詞が思いのほか暗く重いものでびっくりしました。ボルチモアに妻子を捨ててきたという歌いだしで、アメリカのブルース・スプリングスティーンのライブでは歌いだしを観客が大合唱するそうだ。佐野元春はこの歌詞の意味を知ったうえでパクったのかな?「サムディ」の歌詞は割りとありがちな「青春バラード」みたいなものでしたね。こんなところでオリジナル?との差が出てしまうとは。ブルース・スプリングスティーンについては後に出てくるウッディー・ガスリーとの対比というか繋がりで読むと非常に面白いですね。 ウッディー・ガスリーについてはこの本を読むまで全く知りませんでした。アメリカのフォークの父みたいな人だったそうです。ボブ・ディランブルース・スプリングスティーンも彼の影響をうけているそうだ。アメリカのiTuneにはウッディー・ガスリーの曲が売ってました。試聴してみたら以外に古い感じがしませんでした。単純に歌声はボブ・ディランブルース・スプリングスティーンよりもいいですね。 意味がなければスイングはない