ぶら~りネット探訪

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「パンツが見える。―羞恥心の現代史」を読んだ

井上章一の「パンツが見える。―羞恥心の現代史」を読みました。この本は2002年に出版された本です。 日テレの炭谷アナが盗撮で書類送検されていたことが発覚し、元日テレの薮本アナが自分のブログで「男子はパンツ見たい生き物」 と擁護して薮本アナのブログが炎上したのが遠い昔のことのように感じられる今日ごろですが、そんな出来事がきっかけとなって「パンツが見える。―羞恥心の現代史」という本を読んでみました。 まずこの本は1932年の白木屋デパートの火災で「当時の女子従業員は和服で、下着を着けていなかった。このため、裾の乱れを気にしてロープによる救助に躊躇したことで犠牲者を増やした」という都市伝説の検証から始まります。この都市伝説は私も聞いたことがあり、本当の話だと思っていました、しかし、井上章一によるとこの話は後で作られた話で女子従業員が下着を着けていなこととが犠牲者が14名になったというのは直接関係がないと述べています。 その後は女性とパンツの歴史を明治時代から現代ままで語られていくわけですが、現代の感覚から見るとかなりカルチャーショック話が満載です。簡単に言ってしまうと、日本の女性はけっこう最近までパンツを穿いていなかったというこがこの本には書かれています。(和服を着る人の方が多かったといこともありますが)現在のように市販のパンツを穿くようになったのは1950年代くらいで、その前は浴衣を崩して作ったパンツのようなものを穿いていたようです。大正から戦後まではパンツではなく、ズロースと呼ばれていたそうです。ちなみにズロースを穿いていないことをノーズロと呼んでいたそうです。 1950年代に日本の女性にパンツを穿くことが普及したわけですが、まだこのころは「パンチラ」という概念がなく、女性も人前でパンツを見られることを恥ずかしいと思わなかったそうです。この感覚が変わっていったのは1955年公開のマリリン・モンローの「七年目の浮気」が大きく影響したと書かれています。また作家の野坂昭如はこのころにいち早く「パンチラ」の魅力について言及していたそうです。そして、パンツが普及しても色や柄のあるパンツはいわゆる商売の女性のもので一般に色や柄のあるパンツが普及したのにはちょっとタイムラグがあったそうだ。 「歌は世につれ」などと言いますが、「下着も世につれ」ということなのでしょうか。余談ですが、最近自転車に乗っている女性や股上の浅いジーンズなどを穿いている女性でパンツが見えているというか見せているが人もけっこういるのですが、パンツの色がベージュだと、非常にがっかりというか落胆というか、見なかったことにしたい気持ちに私はなります。 パンツが見える。―羞恥心の現代史
パンツが見える。―羞恥心の現代史