ぶら~りネット探訪

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『「大相撲八百長批判」を嗤う』を読んだ

大相撲の名古屋場所も行われている今日この頃、玉木正之の『「大相撲八百長批判」を嗤う』を読んでみました。

この本のサブタイトルは『幼稚な正義が伝統を破壊する』となっています。大相撲の八百長問題が発覚したときのテレビのワイドショーの対応を批判した内容の本です。

板井の『中盆』という八百長についての暴露本も読んでいたこともあったので、私もこのブログでワイドショーのコメンテーターについて野暮で純真な人と書きました。八百長も含めてところに大相撲の面白さがあるとも書きました。今もその気持ちはあまり変わっていません。そこでこの本を読むと、なぜか無性に恥ずかしい気持ちになりました。

玉木正之がこの本で展開している事は残念ながら居直り、開き直りの屁理屈にしか感じられませんでした。具体的には「大相撲は近代スポーツではないから、近代スポーツの基準で大相撲を見ることがナンセンスである」、「八百長でも見ている観客が納得して楽しんでいれば問題ない」の2点が繰り返し語られています。

私も相撲協会がプロレスの団体のように普通の株式会社だったら、この2点は問題ないと思います。しかし、現在、社団法人で税金を優遇されていて、相撲競技の指導・普及、相撲に関する伝統文化の保持のための団体としてはやっぱり問題があると思いますよ。「八百長は文化だ」とはっきりと打ち出せれば別ですけど。

週刊ポスト八百長問題を長年追ってきて鵜飼克郎との対談はガンチンコで興味深いものがあります。長年、大相撲の裏を見てきた鵜飼克郎が理詰めで玉木正之は土俵際まで追い詰めていくところがこの本のクライマックスだと思います。

不入りの九州場所をどうにかするために、板井のような中盆がもし今いたとしたら、福岡出身の琴奨菊魁皇の後継者として大関に昇進させるだろうと鵜飼克郎は言っています。ちなみに、今、行われている名古屋場所では琴奨菊大関昇進がかかっています。

玉木正之相撲協会を宗教法人にすればという提案に対しては、親方に創価学会員が多いので無理という鵜飼克郎の回答には笑いました。選挙の日にはバスをチャーターして投票に行く部屋もあるそうです。

結局、八百長問題は賭博問題と暴力団との関係に行き着いてしまうのでアウトなのです。玉木正之は闇雲にギャンブルを全て解禁すれば逆にヤクザの資金源を断つことができると繰り返しこの本で語っています。賭博と八百長の関係についてはそんな単純ではないことを鵜飼克郎は言っていますこの辺の事情は阿部珠樹の『野球賭博八百長はなぜ、なくならないのか』を読んだ方がいいですね。

大相撲とヤクザの関係についてキツネ目の男、突破者でお馴染みの宮崎学との対談で相撲道は武士道ではなく任侠道と語っています。相撲取りもヤクザも根は一緒なので近代スポーツの理屈を持ち込むのはナンセンス、ヨーロッパのスポーツはマフィアが仕切っている、コンプライアンス遵守では相撲が死ぬといった飲み屋の与太話みたいなものが展開されています。確かに相撲取りや芸人、ヤクザの根の部分は同じというのは理解できます。芸能人、スポーツマンを一般の人の尺度で計るのはナンセンスというのも理解できます。芸能人やスポーツマンは無茶をしてナンボで、そのことで一般の人より多い金が貰えるわけですから。しかし、法律を守らなくてもいいという理屈にはなりませんよね。

この本を読んでボンヤリと気が付いたのは、ミスター高橋がプロレスの暴露本『流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである』を出したときのターザン山本と今の玉木正之の立ち位置や反応が似ているような気がするということです。感情的な屁理屈ばかり捏ねる玉木正之の姿はターザン山本と重なるし、そんな事をしても大相撲の援護にはならない気がします。

「大相撲八百長批判」を嗤う
「大相撲八百長批判」を嗤う