ピーター・マイケル・ダウド監督のドキュメンタリー映画『MR. JIMMY ミスター・ジミー レッドツェッペリンに全てを捧げた』を見ました。
レッド・ツェッペリン、ジミー・ペイジの全てを再現することにこだわる桜井昭夫の姿をアメリカ人のピーター・マイケル・ダウドが追い続けるドキュメンタリー映画で、前半は日本で桜井昭夫がジミー・ペイジのギター、アンプ、衣装の再現する姿が描かれていて、後半は桜井昭夫が渡米してレッドツェッペリンのトリビュートバンド、レッド・ツェッパゲインに加入して以降の姿が描かれる二幕構成になっていいます。
日本で機材や衣装の再現に協力してくれる人たち桜井昭夫は同じ志を持っている人のように見えて、その道を極めようとしているちょっと変わった人たちにように見えました。
桜井昭夫は新潟の雪深い十日町市に生まれ、青春時代にレッド・ツェッペリンに出会いギターを始めます。サラリーマンになりますがギター、バンド活動を続けます。そして桜井昭夫のライブに本物のジミー・ペイジが訪れ対面を果たします。
渡米後してすぐの頃の桜井昭夫はレッド・ツェッパゲインのメンバーやアメリカでの生活に慣れることに必死で特に問題なかったのですが、バンドや生活になれてくると桜井昭夫とレッド・ツェッパゲインの方向性の違いが明らかになります。
レッド・ツェッパゲインのメンバーにとってライブはあくまでビジネスでヒット曲を中心にした構成にすることを主張しますが桜井昭夫レッド・ツェッペリンのライブの完全再現にこだわります。「ジュークボックスみたいなライブはやりたくない」という桜井昭夫の言葉はロックだと思うのですがプロモーターは30分もギターソロを演奏する桜井昭夫に呆れてしまい、最終的に桜井昭夫はレッド・ツェッパゲインを脱退することになります。
この映画での桜井昭夫は機材にもバンドメンバーにも全く妥協しません。その姿はある意味、狂っているように見えて申し訳ないけど何度も笑ってしまいました。レッド・ツェッパゲインのボーカルと歌い方について何度もディスカッションするところはコントに見えたりしました。ベースにその曲は指じゃなくてピックで弾かけなければと言っているシーンもあったりしました。
トリビュートバンドといえどももプロのバンドなのでアマチュアとは違い最低限ビジネスとして成立しなければならならないところですが桜井昭夫にとってはそんなことは関係なく、新たにメンバーを集めてバンドでのライブでは赤字を出していまいます。
悪戦苦闘する桜井昭に映画のラスト近くで奇跡が起こり、なんとか報われることになりほっとしました。
この映画のもう一つ凄いところはレッド・ツェッペリンの曲や映像が流れるところです。ハリウッド映画でもレッド・ツェッペリンの曲が使われている映画はほとんど見た記憶がありません。デヴィッド・フィンチャー版の『ドラゴン・タトゥーの女』でトレント・レズナーとカレンOのカバーの『移民の歌』がオープニングで流れていました。
この映画で流れるレッド・ツェッペリン以外の曲は古いブルースが使われていました。レッド・ツェッペリンの元ネタになったような曲で『鉛の飛行船の燃料となった20曲、あるいはルーツ・オブ・レッド・ツェッペリン』というコンピレーション・アルバムみたいな感じでした。ベン・E・キングの『Groovin'』がかからないのが残念でした。
基本的にはレッド・ツェッペリンを知らない人には楽しめない映画なのですが、好きなものにのめり込むは人の姿、道を極めようする人の姿、どうかしている人の姿を捉えた映画としては面白い映画だと思います。突き抜けた人の爽快が味わえる映画と言ってもいいかもしれません。